日本は恥ずかしい国になりました。

以下
http://blogs.yahoo.co.jp/japalanka/17010438.html
から抜粋しました。画像もありますので上記リンクに飛んでいってみてください。
まっさんという人のブログです。
日本という国が敗戦直後に、小さな国のたった一人の男に助けられた事を
全く知りませんでした。

以下抜粋-----------------------

日本にとって大恩のあるスリランカ(翠蘭華)


我が日本の国民は、余りにもスランカに対して、大恩がある事を知らな過ぎると思う。

ちょっとでもスリランカに興味がある人なら、旧国名である、紅茶で有名なセイロン、

または、スマトラ沖地震、津波被害の以前より日本から多額の資金援助をしている国、位としか思っていないと思う。

第二次世界対戦の最中、コロンボとトリンコマリーを爆撃した敵国である日本

兵の戦死者を手厚く葬って下さり、敗戦後のサンフランシスコ対日講和会議の

席でアメリカやソ連等の戦勝国達が日本を植民地化して自由と主権を支配しよ

うとしている時に出席者の中で最も弱小の島、セイロン代表である、ジャヤワ

ルダナ大臣(謝得和留天寧)が真っ先に、日本があらゆる制約を受けずに自由と独立した国家と

して認める様に!と戦勝国やその他の国々に対して発言し、更に<日本は我が

国と同じ仏教国であり、憎しみは憎しみによって止む事はなく、慈愛によって

止む。>と言い、我が国セイロンは、日本に対して、対日賠償請求権を行使す

る事を放棄する。と発言した事により各国の出席者達を寛容な心にさせたおか

げで日本の本土を分断統治される事無く、日本が現在まで発展する事が出来た

と言っても過言ではありません。

ここまでの内容は詳しい方ならご存知だと思いますが、その後の吉田茂首相の発言。

<我が国、日本は後世まで、この大恩を忘れてはならない!!>と言った言葉を知る人は
この日本にほとんどいません。  私は妻から日本がスリランカを助けてくれるのは、その言葉を忘れてないから

だねと言われ、初めは何の事を言っているのか分かりませんでした。

スリランカ人のほとんどがこの話を知っているのに、我が国、日本ではこの大

恩を学校で教えないのか私には分かりませんが、現在スリランカの学校に通っ

ている私の息子が大きくなった時、お父さん何で日本はこんな大事な事を教え

ないの?と聞かれた時に本当に困ってしまうと思います。

その他に、この事を知らずに義援金やボランティアをなされている方達はとても無念だと思います。

何故なら、ボランティアを受けている側は、これらの話を皆が知っているの

で、半分位の人は、日本が助けるのは、当たり前だと思っているからです。

今からでも遅くないので、世界一の恩知らずと言われる前に日本政府は国民に

対してこの事実を公表してから、スリランカとの、友好関係を更に深めるべ

く、最善の努力をしてほしいと私は思います。
ちなみに、スリランカの首都名(スリ、ジャヤワルダナ、プラ)通称コーッテ

は、ジャヤワルダナ、スリランカ初代大統領の名にちなんで、名付けられまし

た。

それと、今は亡き大の親日家であったジャヤワルダナ初代大統領は、昭和天皇

の大葬の礼の席で現職を退いたにも関わらず、アメリカより先にお悔やみを申

しあげました。

日本に対しては、遺言で、片目をスリランカ人に!もう片方を日本人に!と言

い死後までも日本に貢献してくれました。(内臓も提供してくれると遺言にあ

ったのですが、高齢だった為、実現しませんでした。)

その為か、現在でもスリランカから日本への角膜提供率は、世界一だと思いま

す。

彼の真ん中の画像は、鎌倉の大仏のある高徳寺で撮影したものですが、ジャヤ

ワルダナ氏に対する偉業は、近くに行か無いと読めない様になっていて、日本

の都合の悪さを伺わせます。

下の画像は、東京は八王子の雲龍寺にある顕彰碑です。 ちなみに隣にマッカーサー元帥の石碑もありました。

長野の城泉山観音寺(善光寺大本願別院)にも彼の偉業を称える何かがある様なので、機会があったら子供たちを連れて行こうと思います。


私はこれほど日本を愛してくれた方に対し、友好の印としてたった三箇所の顕

彰碑しか無い事にとても憤りを感じています。

生前、旧国鉄が、JRとなった時、彼は、今でも日本は、感謝の念を忘れずにいてくれていて、彼の頭文字であるJ.R.ジャヤワルダナのJRをつけてくれたと信じて疑わず、親族を呼んで、共にJR東日本の列車に乗ったそうです。


実際は全然関係無い!と知った時の彼の残念な表情を思い浮かべるだけで、申し訳無い気持ちで一杯になります。

私も、たいした事はできませんが、彼の我が国に対する功績と吉田茂氏の発言を生涯忘れず、できるだけ後世に伝えていく所存です。

皆さんにも協力して頂けたら幸です。


追伸、津波被害からの復興に続き、長く続いた内戦の終結に心から敬意を表したいと思います。

ここまで------------------------