17日火葬場へ
出棺の際、
喪主の親父が位牌を
私が写真を。
葬儀客の前で一礼して霊柩車へ。
霊柩車へ乗るのははじめてだな。
火葬場は近い。歩いても5分くらい。
家内や葬儀客はバスで。
歩いて5分くらいなのに。
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さいごの別れをして親父は火葬のスイッチを押した。
そしてみなさんへ私が挨拶
「親族を代表しまして・・・・・・・・」
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葬儀場へ
広間で葬儀客を招き、お弁当を拡げる。
地味なおかずである。
でも葬儀だから仕方ない。
1時間半くらいで火葬終わるので
その時間へまた葬儀場へ。
今度は霊柩車じゃなくバスで。
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葬儀場へ戻り
初七日と49日も同日行う。
またお弁当が出る。
さっき食べてから2時間しかたってないぞ。
もう食えない。
前の人がふたをひらいたらさっきの弁当より全然豪華。
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16時くらいかな。すべてが終了した。
終わったぁ。。。。
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翌朝、家内は先に上京。
家内との別れに親父は涙をこぼす。毎度の光景だ。
親父は家内が好きだ。昨年の夏、帰省したときも東京に帰る朝、
泣いてた。
私は残る。
葬儀後のいろんな処理がある。耳がほとんど聞こえない親父には
ちょっとたいへんだ。
いろいろ葬儀関係の支払いにまわる。
葬儀場や弁当屋やお菓子屋。また入院していた病院の入院費。
叔母さんはほとんど財産はなかったが、痴呆症になる前に
おふくろに自分の葬儀に使ってくれと100万ほど通帳で預けていた。
おふくろは100万で足りるか不安だったが
実際かかった葬儀関係の費用合計は102万円だったからまずOK。
5年間の入院費は毎月高額だったが、叔母さんの年金内でぎりぎりなんとかなった。
葬儀屋で言われたのだが、社会福祉協議会に寄付しなければいけないとの事。
なんで?
まあそれがこの町のしきたりだったら仕方ない。5000円寄付する。
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ちょっと大変だったのが、市役所での処理。
叔母さんがなくなったので戸籍とか住民票の処理をしなければいけない。
残りの年金申請の際、親父たちと住民票が違うため、第三者の署名が必要とかで。
ん~。。めんどくさい。。
署名してくれる人にお願いにいかなきゃいけない。。。
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朝、10時に出かけてすべての処理を終えて帰ってきたのは
15時半すぎだったかな。。。疲れた。。
こわっ!
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翌朝、おやじとおふくろと3人で納骨へ
お墓は家から5分と近い。
そして帰り支度をして枕崎駅からバスに乗り空港へ
見送りにきた親父は、家内が上京の時は涙を流したが
私の時は、涙ひとつなし。
3拍4日の旅を終え、鹿児島を後にしました。