鹿児島帰省07

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今回初めて両親と話し合った事。

ふたりとももう高齢。

居間に親父が葬儀の時に使う写真を選んでくれと、数十枚の写真を。

みゆきさんとこれがいいとかあれがいいとか。。

そしておやじもおふくろも家族葬を希望してることが今回はじめて知った。

慰霊写真の箱の中、紙に包んだ1円玉10枚、おふくろが言う。

棺の中に入れてほしいと。。。

とうとうこんな話をしなきゃいけなくなってきたのか・・・ふと思う。

みゆきさんがとなりで両親に言う。

「生前にこのような準備をする人ほど長生きできるんですよ。」

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以下15年前に書いた「作文」です。

 




ぼくのおやじは、72才です。
鹿児島の小さな村に、おふくろと二人で暮らしています。

おやじは、昔からとてもまじめでとても
優しくて物静かな性格で怒鳴った
事など一度もありません。

酒も飲みません。
タバコも吸いません。
賭け事もしません。

仕事が終わるといつもまっすぐ家に帰ってきてました。

ぼくがまだ小さい頃、小さいぼくをオートバイの後ろに
乗っけて海まで連れて行ってくれました。

ぼくはバイクの後ろがとても怖くておやじのでっかい背中に
しがみついていました。

ぼくのおやじは、昔からあんまり耳が聞こえません。
耳に補聴器をしていて、それでもやっと聞こえるかなって
感じです。

何十年も経ってからおふくろがぼくに話してくれました。

「まだ、おまえが小さい頃おとうさんは、仕事場で耳が聞こえにくい事でとても悩んでいたんだよ
 仕事の事でわからないことがあってまわりの人に聞くと、最初はみんな親切に教えてくれるけど
 補聴器をしていても耳がきこえにくいから、もう一回聞く。何度も聞き直す事もある。
 最初は優しかったみんなも、何度も聞き返されるからどんどん嫌な顔に変わっていったんだって。
 それでも仕事を間違えたくないから、ちゃんと聞かなければいけない。」

そのうちにめんどうくさくなってまわりの人は、おやじを遠ざけていったんだって。
誰もおやじに話しかけなくなったんだって。

誰もおやじに話しかけなくなったんだって。

それが何年も何十年も続いたんだって。。

おとうさん、つらかったと思うよ。でも家族のために歯をくいしばって毎日仕事に行ってたんだよ」

そんなこと全く知らなかった。何十年もたってはじめて、おふくろから聞いた話だった。

 

そんなことも知らないで、ぼくは15才の時にでっかいでっかい声でおやじに吐き捨てた。

「この耳つんぼが!」

近くにいたおふくろがぼくの顔を何度もひっぱたきました
目にいっぱい涙をためて、おふくろが何度もぼくの顔をひっぱたきました。

おやじにぼくのその言葉がきっと届いたのでしょう。

悲しい顔をしていました。

 

おやじは悲しい顔をしていました。

あの時の悲しいおやじの顔を何十年たった今でも忘れることはできません。

毎日毎日、家族のために職場での耳の事で歯を食いしばって
がんばっていたおやじに、ぼくはひどい事を言ったのです。

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ぼくのおやじは、とても優しいです。

ある日、野良猫が迷い込んできました。えさを上げているうちに我が家にいつしか

住み着くようになりました。

迷い込んだきた野良猫は、きまっておやじのあぐらの上で眠ります。

迷い込んだ野良猫は、いつもおやじになついていました。そして

その野良猫が、死んだときおやじは、ぽろぽろと泣きました。

真夏の夕方の出来事でした。

ぼくもつられて泣きました。

 

ぼくは鹿児島を離れて東京で暮らすようになって、もう20年以上もたちます。

ある日おふくろから、電話がありました。しぼりだすような声で

「おとうさん、ガンかも。。。まだ精密検査を受けないとはっきりわからないけれど・・・」

ぼくは目の前がまっくらになりました。。

タバコもすわないし。酒ものまないし。食生活も気をつけていたし。。。ガンの家系でもないし。。

な、なんで?なんでおやじが。。。

ぼくは信じられませんでした。

携帯電話を片手に目の前のお店のガラスに映っているボクの顔はもうすでに泣き顔で。。

 

1月2日 羽田から鹿児島へ。飛行機は予定よりもだいぶ遅れました。

夕焼け色の錦江湾はとてもきれいでした。

空港からバスに2時間バスにゆられました。家に着いた時はどっぷりと日は暮れてました。

 

翌日、おやじと病院に行きました。

診察室でぼくよりもだいぶ若い主治医は表情一つ変える事無く、カルテを観ながら

「間違いありませんね。。」と静かに言いました。

補聴器をしていてもおやじには、それが聞こえなかったのでしょう。

おやじは、ぼくの顔をみました。

ぼくはおやじに、うなづきました。

 

東京に帰るまで毎日、病院のおやじに会いにいきました。

4人部屋のカーテンで仕切られた殺風景な病室です。近くのスーパーでお茶やみかんやお菓子や

そして本屋さんに行って雑誌も買って、おやじに会いに行きました。



そして東京に帰る最後の夜。星のきれいな夜でした。

車でぼくはおやじの病院へ行きました。駐車場に車を止めました。

駐車場から2Fのおやじの病室はカーテンがしまっていましたが、まだ灯りはともっていました。



「明日、東京に帰るから。。。ちゃんと治療を受けて。。。絶対だいじょうぶだから」

ベッドのカーテンを締めておやじのベッドを離れるとき、おやじは僕の手を握りました。

むかしから、僕と別れるときは僕の手を握ります。

今夜初めてでした。涙がこぼれそうになったのは。




病室を出て駐車場に行きました。

そして病室を見上げました。

病室の窓に、おやじがいました。おやじが駐車場のぼくを見ていました。

おやじを見上げたその瞬間、せっかくこらえていたのに涙が一気にこぼれてしまいました。



おやじは大きな口をあけて何度もなにかをいっています

・・・だいじょうぶだから・・・だいじょうぶだから・・・・

そうつぶやいているように見えました。

大丈夫じゃねえよ。全然大丈夫じゃねえよ・・・・がんになったんだぞ。
心配で心配でたまんないよ。東京になんか帰りたくないよ。

ほんとはさ、明日もあさってもそばにいたいよ。

困った。困りました。全然涙がとまんなくて。。

全然涙が止まらない夜でした。

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幸いガンは定期的に打っているホルモン注射のおかげで

進行することなく。。。現在に至っております。。